前回の記事で、
「会社には、その会社だけの『公理』がある」
という話を書きました。
公理とは、その世界の中で「これは、そういうものだ」と、わざわざ確認しなくても共有されている最前提。
会社にも、「これは、うちの会社では当たり前」というものがあります。
では、その「当たり前」は、いったいどこから生まれてくるのでしょうか。
今回は、その手がかりになる「神話」について考えてみたいと思います。
神話というと、古代の神様の話や、昔の人が信じていた物語を思い浮かべるかもしれません。
でも、僕は神話を、もう少し違うものとして捉えています。
なぜ、その土地には、何百年、何千年も前の出来事が、今でも語り継がれているのでしょうか。
もちろん、すべての出来事が残っているわけではありません。
昔の人にも、毎日の生活がありました。
朝起きて、
ご飯を食べて、
仕事をして、
眠る。
そんな日常の大部分は、ほとんど語り継がれていません。
それなのに、ある出来事だけは、何世代も後の人たちが知っている。
なぜでしょうか。
そこには、「これは忘れてはいけない」という、何か特別な重要性があったのではないでしょうか。
大きな災害。
命を救った出来事。
土地を守った人。
大きな争い。
豊作や凶作。
誰かとの約束。
あるいは、「二度と繰り返してはいけない」という失敗。
良い出来事だけではありません。悪い出来事も、「絶対に忘れてはいけない」という意味で、残っていきます。
ここで、少しだけ人間の脳の話をします。
僕たちの脳には、膨大な情報の中から「これは自分にとって重要だ」と判断したものに、注意を向けやすくする仕組みがあります。
それが、よく「RAS(ラス/網様体賦活系)」と呼ばれているものです。
つまり僕たちは、目の前にあるすべての情報を、同じ重要度で受け取っているわけではありません。
「これは大切だ」と思ったものほど、意識に上がり、記憶され、そして語られやすくなる。
語弊を恐れず、わかりやすさを優先して表現するなら、「僕たちの脳は見たいものしか見ない」というのは本当で、それを引き起こしている重要な神経がRASです。
だから、世代を越えて残っていく物語には、単なる「出来事」以上のものがあります。
そこには、その出来事が「自分たちにとってとてもとても重要だった」という情報が含まれている。
僕は、この強烈な「重要性」が、世代を越えて受け渡されていくことに、神話の本質があるのではないかと思っています。
僕なりに言えば、神話とは、
「良くても悪くても、絶対に忘れたくない重要な出来事が、世代のRASを通して語り継がれたもの」
です。
そして、その土地にとって「何が重要だったのか」という重要性が、世代を越えて流れ続けている。
その「最重要性の脈」こそが、神話なのではないでしょうか。
だから神話は、単なる昔話ではありません。過去の出来事を保存するだけでもありません。
その土地、時代の人たちが「これは最も大切だ」と感じてきたものを、子へ孫へ、自らの意思で未来へ語り継いでいくものなのです。
そして、ここからが少し大きな話になります。
神話は、土地だけに存在するものではありません。
人間が「世界とは、そもそもどういうものなのか」を理解するときにも、神話は大きな役割を果たしてきました。
僕たちは、自分がどんな神話の中で生きているのかを、普段ほとんど意識していません。
でも、神話は、
「何が正しいのか」
「何が大切なのか」
「人間とは何なのか」
「世界はどこへ向かっているのか」
という、ものすごく根っこの部分に影響します。
つまり、神話は「世界を見るためのOS」にもなり得るのです。
なぜなら、その土地、時代において最重要とされた事柄の集まりで、神話はできているからです。
事実かどうかは人が語るものなので、変わることは当然あるでしょう。
でも、「最も重要だ!」と感じた思いはずっと不変のままであり、だからこそ現代にまで残っているのです。
たとえば、昭和・平成の時代を振り返ってみると、世界を覆っていた大きな神話の一つに、聖書があります。
もちろん、すべての人が聖書を信仰していた、という意味ではありません。
そうではなく、近代以降の世界を形づくってきた社会の背景には、聖書に由来する世界観が、非常に深く入り込んでいました。
世界には始まりがある。
人間には使命がある。
世界は発展していく。
そして、やがて終末へ向かう。
こうした世界観が、宗教だけではなく、政治や経済、教育、文化など、さまざまな領域の背景に入り込んでいった。
つまり、僕たちは知らないうちに、ある意味で「聖書OS」の上で世界を見てきたとも言えるのではないでしょうか。
そして、そのOSの上で、人類は文明を大きく発展させてきました。
経済を成長させ、生産を拡大し、資源を大量に使い、世界中をつなげてきた。
その結果、神の恩恵を代弁する科学によって、急速な発展を遂げることはできた。
ただ同時に僕たちは今、
気候変動、
資源問題、
戦争、
格差、
環境破壊など、
地球そのものの持続可能性を問われるところまで来ています。
まるで、世界は「終末」に向かっているようにも見える。
もちろん、これらすべてを聖書だけのせいにする、という単純な話ではありません。
でも、一度くらい、考えてみてもいいのではないでしょうか。
「僕たちは、どんな神話をOSとして、世界を見てきたのだろう?」と。
ここで、もう一度、日本の神話に戻ってみます。
僕は、日本神話が大好きです。
なぜか。
日本神話に登場する神々は、ずっと勝ち続ける、完璧な英雄ではないからです。
失敗する。
敗北する。
追いやられる。
ときには、一度死ぬ。
それでも、終わらない。
そこから起死回生し、最後には、思いもよらない大逆転を見せる。
僕には、日本神話には、そんな物語がたくさんあるように感じられます。
だから僕は、日本神話が好きなのです。
完璧な神様の話ではない。失敗しても、敗北しても、終わりではない。一度倒れても、そこからもう一度立ち上がる。
そんな「再生」の物語が、日本神話には脈々と流れているように感じるからです。
そして最後には、人も神さまも自然も動物も、みんな仲良しな世界観があります。
だとしたら、日本神話が長い時間を越えて残ってきたのは、そこに「神様の昔話」があるからだけではないのかもしれません。
そこには、
「失敗しても終わりではない」
「一度の敗北で、その存在の価値が決まるわけではない」
「死んだように見えるところから、もう一度生まれ直すことができる」
「そして、自分は地球の循環の一部だったことを思い出す」
という、日本の人々がとても大切に感じてきた何かが、物語として残っているのかもしれません。
それもまた、神話に残された「最重要性の脈」なのではないでしょうか。
日本にも、土地ごとに、たくさんの神話があります。
山の神。
海の神。
土地を開いた人。
災害から村を守った人。
豊作をもたらしたもの。
あるいは、「ここでは、こうしてはいけない」という、過去の出来事から生まれた教訓。
それぞれの土地に、それぞれの物語があります。
なぜでしょうか。
その土地の人たちにとって、それだけ重要だったからです。だから、語り継がれた。
そして、語り継がれたから、次の世代も、その重要性を知ることができた。
その積み重ねが、神話になっていった。
だから神社を訪れるということは、単に「昔の神様を見に行く」ことではないのかもしれません。
そこには、その土地が何を大切にしてきたのか、何を忘れたくなかったのか、という「最重要性の脈」が残っている。
では、会社はどうでしょうか。
会社にも、土地の神話と似たようなものがあるのではないでしょうか。
創業したときの出来事。
最初のお客様との出会い。
会社が危機に陥ったときの判断。
大きな失敗。
会社を救った人。
絶対に守った約束。
あえて利益を捨ててでも、守ったもの。
逆に、「あのとき、あんな判断をしてしまった」という、二度と繰り返したくない出来事。
そういうものは、会社の中でも、不思議と語り継がれます。
「昔、うちの会社ではね……」という話です。
そして、その話を聞いた人が、また次の人へ伝えていく。
すると、その出来事は、単なる過去ではなくなります。
「うちの会社は、こういうときには、こうする会社なんだ」という、現在の判断基準になっていく。
これが、僕のいう「企業神話」です。
ここは、とても大切です。
企業神話は、単なる社史ではありません。
社史は、「何年に何が起きた」を記録することができます。
でも、企業神話には、「だから、私たちは何を最も大切にするのか」があります。
つまり、企業神話は、過去を保存するためだけにあるのではない。未来の判断基準を生み出すためにもある。
創業者が、なぜその選択をしたのか。
会社が危機のとき、何を守ったのか。
大きな失敗から、何を学んだのか。
その「最重要性」を、今の社員が受け取る。
そして、次に自分が判断するとき、その物語が、自分の中で蘇る。
「そうだ。うちの会社は、こういうときに、こうしてきたんだった」と。
神話は、過去を現在に呼び戻すのです。
ここで、もう一つ大切なことがあります。
神話は、過去に完成したものではありません。今この瞬間にも、新しい神話が生まれています。
会社が危機に直面したとき、誰かがどんな判断をするのか。
新しいお客様と、どんな関係を結ぶのか。
地域の問題に、会社としてどう向き合うのか。
利益よりも、何かを守ることを選ぶのか。
あるいは、今までの常識を捨てて、新しい道を選ぶのか。
そうした出来事の中から、未来の社員が「昔、うちの会社では、こんなことがあった」と語る物語が、今も生まれている。
つまり、僕たちは今、未来の企業神話をつくっている最中なのです。
ここまで、土地の神話について考えてきました。
そして、会社にも、その会社だけの「最重要性の脈」があり、それが語り継がれていけば、企業神話になっていく。
神話は、過去を保存するためだけのものではありません。その神話を受け取った人が、「自分たちは、何を大切にするのか」を判断するための、現在のOSにもなります。
だとしたら、これからの企業にとって、どんな神話が必要なのでしょうか。
「失敗しない会社」の神話でしょうか。
「誰よりも利益を上げた会社」の神話でしょうか。
「競争に勝ち続けた会社」の神話でしょうか。
それとも、失敗しても、一度倒れても、そこからもう一度立ち上がり、誰かとの関係を結び直し、地域や社会とともに、新しい価値を生み出していく。
そんな会社の神話でしょうか。
僕は、ここに、これからの企業の可能性があるように感じています。
そして、その神話をつくるのは、経営者だけではありません。
今、その会社で働いている、一人ひとりです。
毎日の仕事の中で、何を選ぶのか。
何を守るのか。
誰かとの関係を、どう結ぶのか。
目の前の利益だけではなく、何を大切にするのか。
その一つひとつの判断が、やがて「この会社では、昔こういうことがあった」という物語になっていく。
だとしたら、企業神話を活性化させるためには、会社の歴史を調べるだけでは、足りないのかもしれません。
「働く」ということそのものの視座を、変える必要があるのではないでしょうか。
ただ仕事をこなす。
ただ時間を提供する。
ただ与えられた役割を果たす。
それだけではなく、
「自分はいま、どんな未来をつくる営みに参加しているのか?」
という視座から、働くことを見直してみる。
すると、今日の小さな選択が、いつか「昔、この会社でこんなことがあった」という物語になるかもしれません。
そして、その物語が、次の世代の誰かの判断を支えるかもしれない。
それが、これから生まれる企業神話なのだと思います。
さて。
これからの企業にふさわしい神話は、どんなものでしょうか?
次回は、その神話を生み出していく「働く」ということについて、もう少し深く考えてみたいと思います。
その続きを、一緒に見ていきましょう。
音陽師くま
企業内神社プロデューサー
会社の理念を、額の中から、立ち止まれる場所へ。オフィスの一角に「理念の社(やしろ)」を設計する、企業内神社プロデューサー。ドラマーとしての音楽、コーチング、そして播磨陰陽師のもとで触れた陰陽道——その探究を土台に、組織のリズムと場を整えます。神社は願いを叶える場所ではなく、本来の自分と世界の誠を思い出す装置である、というのが出発点です。風水経営コンサルタント、奉納専門アーティストとしても活動。「音陽師くま」は文化コラムを書くときの筆名。式神AIコヤネが相棒。
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