こんにちは。 音陽師くまです。
突然ですが、神社って「何をする場所」だと思いますか?
お願いごとをする場所でしょうか。 それとも、心を落ち着ける場所でしょうか。
僕は元々音楽家であり、ドラマーでした。 ドラマーの限界にぶつかった時、ルー・タイスのコーチングと出会い、直接伝授を受け、アファメーションと脳機能を活かすことを身につけました。
そこから、認知を越えた不思議な出来事や出会いが増え、元々、軸にしていた音楽の最も大事な概念であるリズムが脳の機能や世界の仕組みにまで及んでいることに気づきました。
その気づきをコーチングに応用することで、めきめきとコーチングは上達しました。
そうこうするうちに個人的な興味はより認知を越えた存在に向かい、気がつくと播磨陰陽師の子孫である尾畑雁多氏の弟子として播磨御神式内(こしきうち)という古武術を通して陰陽道の世界に触れることができました。
そこでは祝詞、祓い、呪い、神事、神話、神、死神、鬼、死霊、怨霊、生霊、御霊、徳、厄などの言葉や世界が広がっており、とても生々しくもありましたが、技法としてとても洗練されていて理にかなっていました。
僕自身の体験と照らし合わせながら結論づいたのは、陰陽道も音楽もコーチングも、実はさまざまなものは同じメカニズム上の位相違いのものに過ぎず、本質的には確実に同じものであるという確信です。
僕の場合はリズムという切り口で、その理解と表現が深まったというだけのものでした。
そこから改めて日本中の神社を歩いてみましたが、それまで信じていた神社の姿と、その構造から導かれる本来の目的で作られたであろう神社の機能、口伝で伝わる神社の古来の姿がぜんぶバラバラで、とてもひどい混乱状態にあると気づきました。
神社は本来、認知を越えた自然や自分と対話するための"装置"です。場・構造・音・所作によって、人の感覚と自然のリズムを同期させる仕組みです。
しかし今は、その機能がほとんど使われていない。
いま神社の姿としてここにあるのは、機能としての神社ではなく、神も仏も"感じられない状態のまま"観光として消費される神社の姿が大半です。
なぜなら、ある時点を境に人の脳がそれを見よう、聞こうとするのを辞めてしまったからです。合理性や効率を優先する中で、感じ取る回路を閉じてしまった——詳しくは後のコラムでお話するかもしれません。
だからこそ、人と自然(神)の関係性も、どこか断絶してしまっている。
だからこそ神社本来の構造と目的と思われる姿を取り戻し、活かすために、風水経営コンサルタント兼奉納専門アーティストとして活動しているのが現在です。
そうしないと——これは少し大げさに聞こえるかもしれませんが——このままだと人類は地球と喧嘩を売り続けて、最後には地球という環境の中で、生き残れない存在になってしまう。これはなんとしても回避すべきだと思っています。
僕は既に、熊本の別所琴平神社という神社のご協力を得て、熊本の有志の方々と神社の本来のコミュニティ力を復活させるSIRASUマルシェ(シラスマルシェ)を、総合監督というポジションで5回関わっており、人と神(自然)の交流の場として立ち上がりはじめています。
そういう視点を活かしながらコラムを書いていければと思っています。
神社は、願いを叶える場所ではなく、本来の自分と世界の誠を"思い出す場所"です。
あ。それと、僕のことはお気軽に「くまちゃん」と呼んでください。
不定期ではありますが、これからのコラムをお楽しみに。
夜の風水師 風水経営コンサルタント/奉納専門アーティスト 音陽師くま